※本記事は2017年に執筆し2018年に月刊珠算情報誌「サンライズ」に連載された記事を再編集して掲載しています。
同行して頂いた繁社長と別れ、帰りの電車を待つ駅のトイレで一週間ぶりに腹痛が消えました。本当に腹ただしいウイルスでした。ギリギリまで見送ってくださった玉算堂社長からは「この電車に乗ってる人、全部地元の人だから困ったことがあったら聞くといいよ」と聞いていたのですが女子高生二人以外、全員鉄道オタク(乗り鉄・撮り鉄)でした。
乗換駅では乗り鉄たちは凄まじい勢いで向かいの電車に飛び乗り、荷物の多い私は乗り遅れました。まあ、次乗ればいいやと思っていたのですが、次の電車は40分後・・・。
あとさっきから思ってたけど、ドアが閉まるのがどの駅も妙に速い・・・。
次の電車が来る時間になって踏切の音が鳴り出したものの、電光表示がどこにもなく到着ホームがわからないので、さっき乗っていた40分間止まりっぱなしだった電車の車掌(←この仕事、暇すぎでは?)に聞いてみたところ「わかんない、どうしよう」といって二人でオロオロし、結局今にも停車しそうになってる進入して来た電車を指差して「あっちだ!」と叫んでいました。私はそれを無視して電車の方向がわかった途端、階段をダッシュしていました。ローカル線の情報量と本数の少なさ、恐るべし。
翌日も懲りずに時間を調べず駅に向かって無駄に30分を過ごし、出雲大社へ。バスの中は女の二人旅が20組くらいいて、男かつ一人なのは自分だけでした。出雲大社はイメージと違い、綺麗すぎて歴史っぽさを全く感じられませんでした。10分も見て回ったところで、いじけて座っていたところに「日御碕神社行った?あそこは隠れスポットでいいよ」というRPGゲームのイベントを進める通行人みたいな人が現れたのでタクシーに乗って行ってみることにしました。
タクシーの運転手のおばちゃんはバスガイドのようにキマっていました。日本書紀の話をしてオチを言う頃に「これがその場所です」と止まってくれ、目的地に着いても降りて岬の灯台まで案内してくれました。普段から繰り返しやってるんでしょうが、物凄いプロでした。おばちゃんと別れると、今度は灯台のよく見える木陰で絵かきのおじさんに話しかけられました。
「何しに来た?」「そろばんの買い付けにです」
「そろばん?上手いのか?」「一度だけ、日本一(クリスマスカップ・読上算)取ってます」
「えー凄い!俺昔占いやってたんだけどさー、、」となんだかきな臭い方向に。
「動物占いの原点的なやつで中国の、統計学なんだけど昔仕事でやってて、なんかアンタ面白そうだからタダで見てやるよ」とのこと。
警戒しながら誕生日だけをぶっきらぼうに答えた結果、「自分で何でも仕事をしたい」「体調を崩すまでとことんやる」「32歳までならいつでも結婚できるけど、他人に仕事を任せられるようにならないと無理」「酒でやられちゃう肝臓と、交通事故の頭の怪我に注意」と言われました。早速体調崩していたことを当てられた・・・。
なんとなく恩師の先生に雰囲気と喋り方が似ていたので安心しきって、結局1時間位話し込んでしまいました。別にお金は取られませんでした。
途中、おじさんが通行人に私のことを紹介し始めた時、通行人が「奈良から来たんだけど、なんとかって言う先生が近くで有名で、テレビとか出てるんだよね」と言っており、知り合いの先生の名前を言ってみたらその人でした。繋がるそろばんネットワーク。
話しかけてきた通行人→タクシーのおばちゃん→占いおじさん→知り合いの知り合い?と来て、ついに目的地の日御碕神社へ。今シリーズでカバー画像として使用しているのが左の写真、日御碕神社です。これこれ!出雲大社にはない侘び寂びよ。。。
懲りずに事故表を調べず帰りのバスで60分待ち、さらに空港に早く着きすぎて3時間待ち。帰りは一瞬の1時間フライトでした。
こんなに長いこと教室を休みにして、生徒たち・選手たちはどんなに下手になっていることだろうと心配しながら、羽田に着いた時の光り輝く大ネオン群・大都会感は妙に落ち着いて帰郷を感じられました。
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